ADHDな日々

ADHDの管理人が日々考えてる好き勝手なことを書いてます。典型的文系なのに、理系の話題が多いです。

西暦3000年の人に「人類の転換点はいつか?」と聞いたら、2012年と言うかもしれない

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最近「AIは人類にとって脅威になるか?」という議論が盛んだ。2045年にはAIの知能が人間を超えてしまうらしいから、ホーキング博士イーロン・マスクじゃなくても、人々がAIを脅威に思うのは当然だ。

でも、こんな話を10年前に言ったら「夢物語だ」と笑われるのがオチだった。AIのスカイネットが人間を支配していて、反抗する人間をターミネーターが殺しにくる~そんな世界は「SFとしては面白いけど、現実になるのはまだまだ遠い先のこと」みたいな感覚だったと思う。しかしこの10年で、AIに対する認識は180度変わった。

その原因は皆さまご存知の「ディープラーニング」。「ディープラーニング」自体は1950年代に発明されたそうだが、それが再注目されたのは、「ディープラーニング」の学習にビッグデータが利用できるようになった2000年頃から。そして2012年の「アルファ碁がプロ棋士に勝った」「AIが猫の画像を認識できるようになった」という出来事でその優秀さが広く認知された。そして今日では「人間がAIに滅ぼされる」「AIが人間の仕事を奪う」といった記事を見ない日はない。

「火の発明」も「産業革命」も人類の一大転換点であることは間違いない。でも、それらはあくまでも「人間が優秀になった」出来事だ。しかしAIは違う。人類史上初めて「人間以上の知性を持ったモノが出現した」のだ。2012年を境に、人類は違うステージに突入したように思えてならない。

将来、地球の支配者が人間からAIに移ったとしたら、2012年は「人間の時代が終わり、AIの時代が始まった年」として認識されているかもしれないなぁ。

【追記】

2012年っていうと、マヤの予言で「人類が滅亡する年」として世間を騒がせたのが記憶に新しい。でもマヤの予言は「今のステージは紀元前3113年に始まり2012年に終わる」と言ってるだけで、別に「2012年に人類が滅亡する」とは言ってないみたいだ。もしかしてマヤの予言の「2012年」ってのは、このことなのか!?(笑)。

大好きな作家・村上春樹のノーベル賞騒動に思うこと

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近年、この時期の定番行事と化した「村上春樹ノーベル賞受賞」騒ぎ。若い頃、村上春樹にハマっていた僕としては、ノーベル賞を取ってくれると凄く嬉しい。でも、村上春樹に関することがネットで話題になる度に「アンチ村上春樹」の多さに驚いてしまう。

批判で多いのが「本当に面白いと思って読んでるのか? 自分はインテリと思われたいだけじゃないのか?」というもの。村上春樹を読んでいるとインテリと思われるなんて知らなかったけど、ま、批判されるのも分からなくもない。

最近の作品は面白くないからだ。

今まで読んだ村上春樹の長編を年代順に並べて評価してみた。

○面白かった △まあまあ ×さほど

 

風の歌を聴け(1979)○

1973年のピンボール (1980)△

羊をめぐる冒険(1982)○

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド (1985)○

ノルウェイの森 (1987)○

ダンス・ダンス・ダンス (1988)×

国境の南、太陽の西 (1992)△

ねじまき鳥クロニクル (1994)×

スプートニクの恋人 (1999)×

海辺のカフカ (2002)△

アフターダーク (2004)未読

1Q84(2009)×

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(2013)△

騎士団長殺し(2017)未読

 

ノルウェイの森」を最後に、面白いと思えた作品がない。特に「大長編」といえる「ねじまき鳥クロニクル」「1Q84」にはほんとにがっかりした。いつものように謎が謎を呼ぶ展開。この先、どうなるんだろう?という期待感。しかし、それらの謎が全く解決されないまま、唐突に終わってしまうのだ。もう消化不良感がハンパない。だから、さずがに「騎士団長殺し」は読む勇気がなかった。

しかし、初期の作品はほんと面白かった。特に好きなのが、主人公の僕と友人の鼠が登場する「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」のデビュー三部作と「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「羊をめぐる冒険」は、「ねじまき鳥クロニクル」「1Q84」と同じダークファンタジーで、いつものように謎が謎を呼ぶ展開なんだけど、それらの伏線が最後に見事に回収されるのだ。

あと、この頃の村上春樹作品の根底に流れているのが「生きることの哀しみ」だ。それは、はっきりと文章として書かれている訳じゃない。でも、弱さゆえ最後に自殺してしまう鼠と、弱さを理解しつつも社会に適応して生き続ける僕。この二人の対比がなんとも切ない。

鼠は最後に、たった一人の親友、僕に対してこう語る。

俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。

夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。

君と飲むビールや……

このシーン、ほんと泣けました。

こういう中二病全開の瑞々しい文章は、若くてモヤモヤしてないとないと書けないんだと思う。

だから、今や「大作家」となってしまった村上春樹には、あまり期待はしていない。でも、今でも村上春樹は「一番好きな作家」だ。

風俗嬢が欝になりやすい理由は、遺伝子からの警告じゃないだろうか?

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風俗の仕事を続けていると、深刻な欝になる子が多いって話をよく聞く。確かに好きでもない男に性的サービスをする仕事なんて普通の神経じゃできないだろうし、そんなことを続けていれば欝になるってことは、女性じゃなくてもなんとなく判る。

じゃ、なぜ好きでもない異性とセックスするのは嫌なのか?

この問いには、遺伝子を考えたらすぐ答えが出る。すべての生物は、劣悪な遺伝子を体内に取り込むことを嫌がるからだ。でも逆に個体的には、てっとり早く大金が手に入る風俗という仕事は魅力的なはず。ここで、遺伝子と個体の利害は相反することになる。

そう考えてくると、風俗嬢が欝になるのは遺伝子の抵抗活動だと思えてならない。自己の利益のために劣悪な遺伝子を体内に入れる個体に対し「そんなことはやめろ」と遺伝子が警告を与えているのだ。遺伝子が個体の反生物的な行いをなんとかやめさせようとした結果が、欝になるってことなのだ。

以上、僕が勝手に考えたことです。科学的根拠は全くありません(汗)。